好きだからこそ。

最近、「この人は私のことを嫌いかもしれない」と思うことに囚われて辛くなることが多いです。
20代の頃って、なんであんなに根拠のない自信をもっていたんだろうっていうくらい今で言う“リア充”ってヤツで、でも、それに護られていたんだなと思う。勘違いや、ただの若さだったり、それこそハリボテだったんだけど、今はそのハリボテも失って、全く今の自分に自信がもてない。『生きていることに価値を見出せない』と感じてしまいます。
いわゆるリア充時代には、そんなこと言ってる人を上から目線で「生きているだけで幸せじゃないか」なんて思ったりもしていましたが、自分がウツな気分になって初めて、リア充さんの元気な発言が、時に胸を深くえぐることがあるんだと身にしみています。
私、今、世界一かもしれないくらいに自意識過剰に陥っています。そうだと、自分でも心のどこかでセーブしてはいるんです。いるんですが、何かきっかけがあると全てをネガティブにとらえて、落ち込み具合が半端ないです。
それの中で、一番きついのが、冒頭に書きました「この人は私のことを嫌いかもしれない」でございます。その人のことが大好きなだけに、辛くて辛くてしょうがないです。
好きな人に嫌いだって思われるのは辛いけど、そのせいで相手にイヤな思いをさせているってことが、もっと辛いんです。
分からないよ。その人が私のことをどう思っているかなんて。むしろ、興味もなく、なんとも思っていないかもしれないし。だけど、もし…、もしも、嫌いだと思っていたら、きっと、こっちが良かれと思ってしていることも全部、イヤだろうなって…そう思うとたまらなくなるんです。それなら、「嫌い」だと言ってくれ、と。それさえはっきりすれば、私はもう、何もしないから。好きだという気持ちは変わらないかもしれないけど、もう一切、目にふれるような事はしないから。あなたの知らないところでだけ、ただ、想うだけでいるから…。
って、こんな感じのことで、毎日、辛くなるです。バカでしょ。あたしも、元気なときは、ハッキリさせたらいいじゃんとか、簡単に思ってましたけど、世の中、そんな簡単な仕組みばかりではない、とその頃の私に教えてやりたいです。もっと、何か見つけておけよ、今の恵まれた幸せを、幸せだと分かる人間になっておけよ、と。