何事も、やってしまった後に、後悔はやってくる。

<怒りが静まったあとに後悔はやってくる。>
↑誰の言葉だったか、内容もうろ覚え。

自殺を選択し命を絶つ子供があとを断ちません。ニュースを耳にするたび、やりきれない思いになります。
TVのコメンテーターなどが話しているのを観ていると、外野がいくら何を言ったって・・・とは思うのですが、それでもやっぱり、何か、こう、伝えたくて書いています。
他人事や、目を背けていい問題とは思えないから。もっと危機感を持って感じなければいけないことだと思うから。
めちゃめちゃ長くなっちゃうけど。
「イジメなんて、社会に出てもあるんだから」
って言う人いるけど、これを聞いたら、今まさにイジメに悩んでいる子は、(ずっと、こんな苦しみが続くのか!)と、自暴自棄になりかねないなぁと思います。けど、実際、そうなんだよね。あります。社会に出てもイジメ。私もイジメられたよ。10歳20歳上の人から。未だに夢に出てくることがあるくらい酷かった。これが現実です。
でも、安心して。それ以上に、楽しいことや幸せなことが、か な ら ず 待っているから。それがいつになるかは分からないけど、生きている限り、いつか出会える。それを知らずに辛かったで終わらせてしまうのは、早すぎるよ。
今、私は31歳。子供の頃のいい思い出は少ないけど、21歳で初めて親友ができたし、17歳から25歳まで一生分の恋だってしたし、28歳で結婚して30歳で子供も生まれた。これ、全部、大人になってからの経験で、子供のうちに死んじゃってたら経験できなかった。
事故にあったり、病気したり、「死にたい、自分の存在自体を消し去りたい」という気持ちに誘われても死ななくて良かった。
今、周りの人がみーんな酷い人だったとしても、いずれ出会う素敵な人たちに会わないで終わっていいのかな。身を焦がすような恋とか、経験しないで終わっていいのかな。

「イジメはなくならない」って言う人もいる。これも、残念ながらそうだと思う。
ガックリきてしまうかもしれないけど、これはまず、イジメをする人の心理を考えてみてほしい。私が思うには、こんな感じ。

  • 家や友達やクラブ活動やその他もろもろなどで、嫌なことがあった。自分では解決し難いことで、とてもストレスになている。真面目に頑張っているのに、上手くいかない。なのに、あいつは頑張っていない。いつも適当にしているのに上手くやっている。ムカつく。おとしめてやりたい。
  • 自分より、容姿や学力やその他もろもろなどが劣っていると思うのに、それをコンプレックスに感じていない。自分はそのことでコンプレックスがあるのに、自分より劣っているヤツが感じていないのは、自分が更に劣っているように思えるので相手をおとしめてやりたい。
  • 自分が頑張っても手に入れられないものを持っているのが妬ましい。
  • 親など、自分よりも強い立場のものに押さえつけられているストレスをぶつけたい。
  • 自分に合わないヤツは攻撃してでも自分に合わせたい。そうしないと自分の居場所を確立できない気がする。
  • 好きだと感じていたのに裏切られた。仕返ししたい。
  • からかうと反応が面白い。

これだけではないだろうけど、だいたいこんな感じではないかな。どれもイジメをする側の勝手な思い込み。だけどそこには、その子自身の悩みが他人への攻撃となってあらわれたところがあって、それをするなって言われても、程度の差はあれ、誰もが1度は経験していることではないかと思う。たとえば、何か嫌なことがあったとき、人にあたったことがない人なんて、たぶんいないもの。そういうのの歯止めがきかなくなったり、やりすぎてしまたりするのは、その子自身の抱えているもの自体も、ものすごく大変なものなのかもしれない。だからって、それを人にぶつけるのは間違いなんだけどね。こういうやり場のない思いは、他人に向けばイジメなどの攻撃になって、自分に向けば自殺になったりする。イジメは本当に酷いことだけど、そうやって外に出さなければ自分が死んでしまう、そういう子もいる。自己防衛本能が強ければ、そうやって外に向いてしまう。いいしれない怒りや憤りを発散して、治まれば後悔するけれど、また発散せずにはいられなくなる。それはまるでドラッグのように。中毒者は、ただもう、快感を得るために繰り返すだけ。
最後の<からかうと反応が面白い>だけは、ちょっと性質が違って、多くの場合、ここに属するのかもしれない。イジメている側が、イジメと認識していないので、どーしようもない。たぶんこれって、みんなが経験していることだと思う。ぷぅっとオナラしちゃった人を笑ったり、間違いを笑ったり、そーゆうことは誰だってあるでしょう。それと同じ感覚。「チビ」とか「デブ」っていうのも、受け取る人にとっては、おいしいと思ったり、とても嫌だと思ったり様々。お笑いの人がネタでやるのと同じ感覚で、受け取り側が深刻になっていることに気づかない。もし、気づいていてやっているのであれば、それはこの場合と別の場合のに書いたように、その人が抱えているものを理不尽にぶつけてきているタイプに属する。
こういったものが、イジメの根源なのだとすると、なくなるわけがない。
イジメ報道に心を痛めている人も、怒っている人も、被害者である人すら、どこで加害者になっているか分からないのだから。
イジメをしていた人たちをクズ呼ばわりする人とかいるけど、自分が本当にそちら側でないと言い切れるんだろうか。

まるで、イジメをする側の弁護をしているかのようになってしまっているけど、そうじゃないの。人間て、もともとは、悪い生き物なんだよ。それを、教育や環境によって、理性などが生まれて、やっと抑えて生きてる。だから、ストレスや色んなことでそれが崩壊すると、本来の悪い性質があらわになってしまう。それを、自分は良い人間だと思い込んでいる人がけっこういるのにはびっくりしてしまう。悪いと知っていてやったことは1度もない?自転車の2人乗りとか、嘘をついたりとか、小さいことでも、悪いって知っててやったことは絶対みんなあるはず。人間て、悪い生き物なんだって。だから、イジメはなくならないです。そして、自分もそういう人間の一人だっていうことを忘れちゃいけない。
悲しむ人がいるのに命を絶つことは悪いと思わないのかな。どれだけ、残された人が辛いか。自分の何十倍もの苦しみを与えてしまうかもしれないと、想像はできないでしょうか。
自分で自分を殺す。それは、悪いことではない?
イジメによって、ウツになっているのかもしれないよ。ウツっていう病気のせいで死にたいのかもしれないよ。なのに、死んでしまうの?
本当に他に方法はないの?イジメ自体はどこにでもあるけど、自分におきているものは終わらせることができる。それは、死ぬこと以外でもできる。絶対できる。生きていればできるんだよ。なのに、死んでしまうのは悪いことではない?
ごめん。ごめんね。いくら何言ったって、今、辛いその現実はどーしようもないんだよね。
あぁ、ほんとに、責めるようなこと書いてごめんよ。
でもね、怒りが静まったあとに、後悔ってやってくる。死んでから、というよりは、そう決意して死にゆくその時に、後悔しても遅いから。

自殺をしたお子さんの保護者の方が、学校やイジメをした人たちに怒りを訴え、謝罪や改善を求めるのは当然なんだけど、本当にもう、こんなことが起きてはならない、と思うのならば、学校やイジメた人たちを責めることよりも、自分たちが「この子が自殺をしたことが、どれだけ悲しいか辛いか」ってことを訴えていかないといけないんじゃないでしょうか。
訴えるべきなのは、怒りじゃなくて悲しみの方じゃないでしょうか。
それを訴え続けることが、一番、被害者にも加害者にも責任者にも、響くんじゃないかと思います。自分がその立場になったら、そんなこと言っていられないのかもしれないけど、亡くなってしまったその子にしてあげられることは、誰かに責任を取らせたり謝らせたりすることより、イジメで自殺をしないで済む世の中にすることなのではないでしょうか。
また、その子のような苦しみを、自分たちのような思いをする人たちを繰り返さないためにも。

  • 11月15日・追記

上記の被害者の保護者の方へ向けて書いていることですが、あまりにデリカシーに欠けていたと反省しました。申し訳ございません。
自分がその立場になったことを思うと、これからのことだとか、そんなことよりも、<ただ、自分の娘を、息子を、返して欲しい>そう思うのが当然です。他のイジメを受けている子のためになんて余裕は無いし、愛する我が子を失ったとゆう悲しみ、怒り、それ以上に何もないと思います。親なら、きっと誰もがそうに決まってます。
でも、もし、出来うることなら、その辛く悲しい思いをもっともっと訴えてもらえれば、憎むべきイジメも、自らの命を絶とうとする苦しみも、失って知る悲しみも、抑止できるのではないかと本気で思っています。
その深い悲しみと怒りを消し去ることは出来ないだろうし、訴えていくことは、それに囚われているかのようで、とても苦しく辛いことだと思いますが、もし、同じ思いをする人を増やしたくない、と考える方が居られるのなら、どうかどうか、そうして欲しいと思うのです。
それによって、同じ苦しみを回避し、このとんでもない悲しみを背負わずにいられるようになる人が、きっと救われる人が、いると思います。そう、思います。